スイカちゃんの日記

言語学に興味がある。最近はタイ語を勉強している。

「保護者」の記事を考える

はてな匿名ダイアリーで下の記事を見た。

anond.hatelabo.jp

 

何を言っているか分からない。誰が出てきて、何を発言したのかが読み取れない。

はてなブックマークのコメント欄を読んでも、理解できない人が多いようである。

これを頑張って読み取ってみる。

 

登場人物が把握しづらいことが読みづらさに繋がっていると予想して、登場人物が誰かを考える。

記事の中で特定の人物を示すことばは「かなり年下の子」「自分」「知り合い」「相手の子」「保護者」「みんな」「そのおっさん」「あんた」である。

2行目の「って知り合いに聞かれた。」というところは主語が私、つまり投稿者のことであろう。その投稿者が誰かに相談されたという内容なので相談者(=「知り合い」)もいることになる。

それを踏まえた上で1行目に戻ると「自分」は相談者であることが分かる。そして「かなり年下の子」(年齢は分からないが仮に「児童」と呼ぶ)も登場しているので、ここまでで3人、登場人物がいる。

2行目に戻って、2つ目の文に「相手の子」が現れる。相手の「子」とあるので児童と同じではないかと思われる。「その話してる」は「その話をしてる」のタイポであろう。

3行目・4行目の「保護者」は児童の父母(あるいは、その片方)だと考えられる。ここでの発言はSNSでのやりとりのことであろう。

5行目の「みんな」はSNSでやりとりした人たちのことだと思われる(この中に児童の父母や投稿者が含まれているかは分からない)。

問題は、最後の行である。この行には「そのおっさん」「あんた」が出てくる。児童がかなり年下であることから「そのおっさん」と同一だとは考えにくいので「そのおっさん」は相談者のことになると思うが、すると「あんた」は必然的に児童になる。なぜなら相談者が自分自身にマジ惚れすることになり、文脈に沿わないからである。最後の文は、児童が相談者に声をかけ続ければマジ惚れされちゃうけど、それを分かっていてやっているのかと問いかけていると解釈できる。

 

以上のことから登場人物は次のように考えられる。

  • 投稿者
  • 相談者          「自分」「知り合い」「そのおっさん」
  • 児童           「かなり年下の子」「相手の子」「あんた」
  • 児童の父母        「保護者」
  • SNSでやりとりした人たち 「みんな」

 

記事を分かりやすいように書き換えると以下のようになる(下線は書き換えた・追加した部分を示す)。

 

「かなり年下の子が最近やたらに声をかけてくる。カラオケでオールもした。自分に気があるんじゃないか、どう思う」って知り合いに聞かれた。俺はその子がSNSでその話をしてるのも見た。

「保護者同伴だったのか」

「保護者がいたならよかった」

とみんなに書かれていた。

子供よ、そのおっさんあんたにマジ惚れしそうだから気をつけたほうがいいよ。それともわかっててやってるのかね。

 

これで分かりやすくなった。

 

ところで、筆者は言語学をかじっているので、その観点(語用論の観点)から見てみる。

この文が分かりづらいのは主語が誰であるのかが明確ではないことが原因であろう。特に「そのおっさん」「あんた」が分かりづらい。

状況が分からないと具体的な対象が分からない語を「ダイクシス」という。代名詞や指示詞がこれに相当する。例えば「以前、それは先生を苛つかせた」という文は「以前」「それ」「先生」の語自体は具体的に指すものが無く、この文に文脈が付与されて初めて対象(あるいは意味)が決まるということである。他にも「上」「右」「今」「あれ」なども当てはまる。

投稿者はダイクシスの使い方があまり上手ではないように思われる(もちろん、意図的にそうしたのかもしれないし、匿名ダイアリーだから気軽に書けて推敲する気が起きなかったのかもしれないが)。

 

さらに、上の解釈は自分なりに「関連性を最大にし」たものである。「関連性を最大にする」というのはディアドリ・ウィルソンとダン・スペルベルが提唱した「関連性理論」で出てくるものである。関連性理論とは平たくいえば、話し手が何かを発言したときに聞き手はその発言を解釈する上で、解釈の候補がいくつか出てくるわけだが、送り手は伝えたい意図がその候補の一番上に来るように発言や動作の最適な調整をする。受け手はその調整があるという保障があるとして一番上の候補で解釈する。よって発言意図が理解できるということである。一番上の候補で解釈することを関連性を最大にするという。(上の説明はかなりおおざっぱなので興味がある人は専門書を読むといいでしょう。)

それっぽく述べたが、つまりは僕なりの解釈だということで、人によって上の解釈に疑問を持つ人もいるだろう。「保護者」が相談者と同一だとする解釈も可能である(はてなブックマークのコメント欄にちらほらある)。そうした場合、児童は相談者と一緒にカラオケでオールしたことを「みんな」には「保護者」と一緒にカラオケでオールしたことだと思われているということになる。そのように解釈した人は僕とは関連性を最大にするやり方が違うということである。投稿者は最適な調整を行なわなかったために何を言っているかが分かりづらくなって、それっぽい解釈が複数生まれたということになる。ダイクシスの使い方も最適な調整に含まれる。

 

なんにせよ、投稿者は最適な調整を行なわなかったということで、人に読まれる文章を書きたければその努力をしろという戒めになった。